広島東照宮

爆心地から2,200mで拝殿と本殿は焼けましたが、1646年の唐門は倒れずに残りました。

広島藩2代藩主の浅野光晟が1646年に造営を始め、1648年7月に完成させました。光晟の母は徳川家康の三女です。1645年に岡山藩主の池田光政が先がけとなり、数十の大名がそれぞれの東照宮を建てました。広島東照宮もその流れのなかで生まれています。1881年、藩主が東京へ移ると御神体もともに移りましたが、広島の市民数人が浅野家の子孫に正式に願い出て、御神体は戻りました。戦時中は、陸軍通信隊の兵士約20人が境内に常駐していました。境内は空襲の危険が低いと見られ、そのため公共の避難所にも指定されていました。その安心感から、神社の宝物はよそへ疎開されませんでした。1945年8月6日、爆心地から約2,200mのこの神社では、爆風で屋根がはがれ、石の鳥居が倒れました。火は拝殿から出て本殿まで焼きましたが、兵士たちが全焼する前に食い止めました。1646年の唐門、左右の翼廊、手水舎、本地堂、御供所、脇門、神輿、麒麟獅子頭は残り、現在は広島市の重要有形文化財に指定されています。混乱のさなか、神社は多くの負傷者を受け入れました。作家の原民喜は幟町の実家で被爆し、8月7日の夜、親族とともに境内で野宿しました。そのときのメモから、のちに小説『夏の花』を書いています。現在の社殿は、家康没後350年にあたる1965年4月に再建されました。本殿と拝殿は1984年に建て替えられています。原爆の爆風で傾いた唐門と翼廊は、2008年から2011年にかけての保存修理でまっすぐに直されました。

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